top of page

FOLLOW ME:

素人専門家

「素人専門家」(lay expert)という言葉があります。

 一見すると「素人」と「専門家」が矛盾を起こしているような語ですが、さまざまな可能性も感じさせる言葉です。

 英国では、慢性的な症状を持つ人が、その症状にうまく対処しながら、社会生活を送っていくためのスキルを教える「素人専門家(レイエキスパート)」の育成が2001年より開始され、Expert Patient Programme (EPP) というプログラムが普及しています。

epp_png_main_pic.png

 このプログラムでは、患者歴の長い指導員(tutor)が患者歴の比較的浅い患者をリードするという形式をとっており、運営事務に至るまで基本的に患者自身が行うなど、「素人主導」を徹底しているそうです。

 ここには、患者しか持ちえない「専門知識」があるという考えがあります。

 例えば、自らの疾病と向き合う過程で得られた、痛みを軽減するための術、気持ちの持ち方、専門職との接し方など、慢性的な症状に対処するための試行錯誤の中から生み出された知識のことです。

 従来の専門知識、あるいは専門性というのは、資格制度や科学的学問体系に裏付けられたものという考えであるのに対し、この新しい「素人の専門性」という概念は、病の体験やリスクに対する心構え、価値観や好みなど、専門職が持ちえない知識として規定されていると言えるでしょう。

 また、この「素人の専門知識」の特徴は、「ある人にとっては妥当であり、他の人にとっては当てはまらない」という客観化を拒む性質があるともいえます。

 松繁卓哉氏は、EPPの指導員に対するインタビューの分析結果から、患者の専門性は「一つの患者モデルの提示」として構想されているようだ、と述べています。

 例えば、ある慢性疾患の指導員は自身の受講経験を以下のように振り返っています。

EPPを受けてからというもの、病院からの指示とか、治療内容について、より注意力をもって向き合うようになったね。「何時に薬を飲まないといけなくて」「この薬はどういう薬か」とか、前よりも意識するようになったね。まあ、症状は改善しないけど、今はあまり気にしない。

 また、別の指導員は、以下のように述べています。

それまでだったら「この薬、効かない」と言っていたところが、「私にはこの薬、適していないみたいです」と言うようになったし、それでお医者さんとのディスカッションができるようになったね。それと「私は糖尿病の治療は受けたくない」と言うのではなくって「今までの私が受けた糖尿病治療は、少し私に合わないようですが・・・」と言えるようになったことで、問題解決へ向けて協議に入れるようになった。これこそ、私達が受講者へ教えたいことなんです。

 これらの言明から、レイエキスパート育成の目的は、医療行為を受ける当事者としての主体性の確立にある、と言えるでしょう。

 また「症状は改善しないけど、今はあまり気にしない」という言明から、慢性疾患を持つ当事者にとって医療が生活に深く関わっているものの「当事者の生活運営」という観点からすれば一部分をなすのみであり、むしろ生活の中での目標設定と調整を重ねながらのその遂行が中心的な命題である、ということを示唆しています。

 しかしながら、素人専門家が直面する問題もいくつか指摘されています。

 医療化(medicalization)の議論で有名なイヴァン・イリイチは、専門職化(professionalization)の議論を踏まえ「専門家の存在、そして専門家を必要とする文化はつねに、さらなる専門家を要請する」と述べており、EPPをはじめとする「当事者中心」プログラムが、その内部において、当事者間の新たなヒエラルキーを作り出す可能性が潜在するといえます。

 また、「素人の専門知」の制度化におけるジレンマとして、素人の専門知は「正しい/正しくない」という二項区分を基盤とせず、「ある人にとっては妥当であり、他の人にとっては当てはまらない」という本質をもち、それゆえ、素人専門家を普及させる試みが、統一化・客観化を伴わなければならない現代の「制度化」という作業とは相いれないのではないか、という懸念もあります。

 とはいえ、この「素人主導」による専門家育成の試みは、従来の「患者中心の医療」が専門職主導で進められ、患者や当事者がその中にしばしば入ってこなかったという反省からも、画期的な取り組みであり、従来の伝統的な自助グループ(患者会など)による活動から一歩進んだ活動として注目に値します。

 日本ではこのような取り組みはあるでしょうか。

 まだまだ少ないと言わざるを得ませんが、私が知る範囲では以下のような活動があります。

「患者スピーカーバンク」というNPO法人が2012年より活動しています。

 患者の病い体験を主体的に語ることができる「患者スピーカー」を、患者自ら育成し、医学教育や社会啓発に役立てるという活動です。

 また呼吸器疾患に関する熟練患者(Expert Patient)を育成するNPO法人EPAREC(Expert Patient in Respiratory Care)という団体は2003年から活動しています。

 今後、日本におけるレイエキスパートの育成活動に注目していきたいと思います。

参考

松繁卓哉:「患者中心の医療」という言説ー患者の「知」の社会学. 立教大学出版会/有斐閣, 2010.


  • Facebook Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • Instagram Clean Grey

RECENT POSTS: 

SEARCH BY TAGS: 

まだタグはありません。
  • Facebook アプリのアイコン
bottom of page