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医療化がもたらすものとは

 「医療化」(medicalization)という言葉があります。

 ヘルスコミュニケーションに詳しい聖路加国際大学中山和弘教授の「健康を決める力」サイト(http://www.healthliteracy.jp)の解説によると:

『以前は医療の対象とは見なされなかった、宗教、司法、教育、家庭などの社会生活のなかで起こっているとされてきたさまざまな現象が、次第に医療の対象とされるようになっていくこと』

とされています。

 大阪大学の医療人類学者池田光穂先生のサイトにも、現代における分かりやすい事例として認知症や出産の例が挙げられています(http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090824medicalization.html)。

『人間の老化にともなう 高度の認知機能が低下するという「ぼける」ということが、老人精神病のひとつとして分類されていたアルツハイマー症(Alzheimer's disease, AD)や/あるいは認知症(老人痴呆症, Senile Dementia)などと「診断」として治療の対象になりっていくことは、典型的な医療化である。先進国における出産の現場が、自宅出産から病院や産院へと以降してゆく ことも、医療化の例としてよくとりあげられる』

 医療化といえば、イヴァン・イリイチの『脱病院化社会』(金子嗣郎訳、晶文社)も有名です。

 1967年のこの著書でイリイチは、専門家だけに医療のコントロールを任せておけば、医原病(iatrogenesis)という破壊的影響を人々はこうむるといい、その被害は日々拡大しているといいます。そして、その医原病を阻止するには、医師ではなく、素人が可能な限り広い視野と有効な力とをもつべきであると主張しました。

(ちなみにトルストイの小説「イワン・イリイチの死」はもちろん無関係です。トルストイの主人公はIvan Ilych、「脱病院化社会」の著者はIvan Illichです)

 この「医療化」という概念は強力で、現代の医学・医療を批判する上でも鋭い切れ味を発揮します。例として以下のようなことが挙げられます。

  • 「落ち着きのない子ども」が、多動症・学習障害という精神医学の対象となったこと

  • 高齢出産の増加に伴って、子供を産むかどうかの判断に出生前診断が関与するようになったこと

  • 終末期における医学的処置の選択が社会的に強要されるようになること(延命処置に関する事前指示、臓器提供の意思表示)

 これらは、現代社会の中のさまざまな意思決定場面に医学・医療の技術が組み込まれ、もはやそれを抜きにしては考えられないということを表しています。

 これは必ずしも悪いことばかりとは言えず、イリイチが主張するように、専門家に任せるばかりではなく、非専門家や素人がより専門家に近い知識を学んでいき、主体的に意思決定を行ったり専門家とともに意思決定していくような形になれば、社会全体の啓蒙につながるとも考えることができます。

 ミシェル・フーコーは医療化についてどのように考えていたでしょうか。

 フーコーは、現代のヨーロッパにおける医療化を「思わしくない結果 les conséquences négatives」とみなし、以下の3つの理由を挙げていました。

(1) 所得再分配機能としての社会保険制度の機能不全

(2) 積極的医原性

(3) 無際限の医療化

「積極的医原性 l’iatrogénie positive」とは、イリイチの「医原病」の延長概念で、「医療行為そのものにそなわる合理的な根拠に起因する」有害な影響、さらには蓋然的な危険性を意味するもののことです。

 具体的には、薬剤耐性をもった病原菌の存在など抗感染症治療がいわば不可避にもたらした人間の自己防衛能力の脆弱化、生物兵器などへの転換の可能性、また細胞の遺伝子構造を変えるという仕方での生命現象全体への医療の介入、などの事態を指しています。

 また「無際限の医療化」という言葉によってフーコーは、健康診断などの組織的かつ強制的なスクリーニングによって健康な人も絶えず医療による介入の対象とされるに至ったこと、またセクシュアリティにまつわる一連の事象が医学の対象とされてきたことなどに警鐘をならしました。

 フーコーは1974年のリオデジャネイロでの「社会医学の誕生」という講演において、近代医学が社会医学として社会的な実践であるということ、単に医者と患者の関係のみに集約されるものではなく、「社会による個人の管理」に寄与するものであると位置付けています。

 われわれ個人は生存のためというよりも、単純に欲望の対象として「健康」を欲しており、そして医療や製薬企業が生み出すもの(例えば「禁煙外来」のような一連の医療プロセスも含めて)は、消費される商品として市場の大きな位置を占めるに至っています。

 しかし、フーコーは「医療消費の増加がそれに比例して健康レベルを向上させるわけではない」と指摘しています。そしてそれを克服するためには、医療が「どの程度まで発展モデルを変更したり適用したりできるのかを決定するために、医学と経済と権力と社会の関係を明らかにする必要がある」ということ、それを具体的に検証し「無際限な医療化」を限定することであると述べています。

[参考文献]

大北全俊:M.フーコーの社会医学/公衆衛生の記述について. 待兼山論叢. 哲学編. 45 p1-15

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