「ぼけ」の医療化
「ぼけ」あるいは「痴呆」という言葉を聞かなくなってからしばらくたちました。
それでもごくたまに「痴呆老人」と言っている方を見かけますが、何となく使ってはいけない用語を使っているような後ろめたさを感じたりします。
厚生労働省による国民のヒアリングを経て、日本老年精神医学会が「痴呆症」から「認知症」への名称変更を行ったのが2005年6月でした。まだ10年前のことですね。
それまでは「認知」という言葉は、シングルマザーの子供に対する生物学的な父親による血のつながりの「承認」という意味で用いられるか、学術的に認知心理学などの用語として使われていたに過ぎません。
(いまだに「認知」と聞くと、有名芸能人の隠し子が発覚して記者会見で「僕の子です。認知します」なんて言っている映像が思い出されるのですが...笑)
しかし今では「認知症」や「認知機能」という言葉が広く人口に膾炙しました。
(ところで私は専門職がときに使う「あの患者、認知入っているんじゃない?」という言葉が大嫌いです)
池田光穂氏によれば、この「ぼけの医療化」は、1960年代後半からはじまった「ぼけ」の社会問題化と「痴呆症」という言葉の普及、加齢の医療化とも言える2000年からの介護保険制度の開始、2006年からの介護保険法の新システムの導入と「介護予防」活動の始まりなどに見てとることができるといいます。
この「痴呆症」から「認知症」への名称変更は、1970年代以降、マスコミやジャーナリズム領域においての「言葉狩り」ー特定のカテゴリーの人間の差別を助長する「差別語」を公的な領域から放逐することーの一連の流れの一つと見ることもできます。
「痴呆」という言葉にすでに後ろめたさを感じるようになっているとすれば、すでにこの「言葉狩り」による「権力者の陰謀」(用語の社会的放逐)が成功しているとも言えるでしょうし、そうではなくて「痴呆」という言葉がもつスティグマを拭い去ったと考えることもできるでしょう。
いずれにしろ、「痴呆」から「認知症」への脱スティグマ化は、多くの国民にとっては抵抗なく受け入れられました。
これを医療化論で語ろうとすると、民俗医学用語としての「ぼけ」から生物医学用語としての「痴呆」への推移、そして「認知症」への名称変更が、社会生活がおしなべて医療的まなざしのなかに置かれ、近代医療抜きにしては社会生活が送れないようになるという、単線的な「加齢の医療化」による永続的介入という見方をすることもできます。
あるいは別の見方として、「精神分裂病」から「統合失調症」への病名変更に見られるように、既存の病名がもつ社会的スティグマを軽減し、患者に対する社会的差別を撤廃する行政および医療側からの社会に対する働きかけであると見ることもできるわけです。
21世紀に入ると認知科学とMRIイメージングを組み合わせた研究に拍車がかかりました。その結果、コンピュータサイエンスと共に脳科学に対する人々の関心が高まり、「ぼけ」や「痴呆」の生物医学的説明が人々の間に徐々に普及することになります。
また「ぼけ」予防のための「音読」や「簡単な暗算」ブームがおき、任天堂の「脳を鍛える大人のDSトレーニング」も大ヒットしました。
このような中で「認知症」という言葉がもつイメージが、カジュアルなものへと変容していきます。
ひと昔前に「痴呆症」というと、大変ネガティブな重いイメージがありました。
私は1985年公開の「花いちもんめ」を思い出します。痴呆老人を演じていたのは「七人の侍」(黒澤明監督)の一人、名優千秋実でした。
便失禁をして便まみれになった痴呆症の義父と泣きながら格闘する嫁・・・そんなシーンを思い出します。
認知症に対する最近の映画や漫画での扱われ方はもっと多様化しています。
2013年公開の映画「ペコロスの母に会いに行く」は、エッセー漫画が元となり映画化されたものですが、認知症の母の日常がユーモアもまじえて生き生きと描かれおり、「忘れること、ボケることは、悪いことばかりじゃないんだ」という作者の言葉がその内容を象徴しています。
このような認知症をめぐるさまざまな現象を理解しようとすると、「医療化」(医療による介入の単線的増大、あるいは制度による管理の強化)という概念では不十分であると言わざるをえないでしょう。
参考
池田光穂:社会文化的「ぼけ」から社会医療的「認知症」へ ---〈痴呆老人〉の医療化の現在---.