Dialogue in the Dark
- sondtky
- 2014年12月28日
- 読了時間: 4分
先日、Dialogue in the Darkに参加してきました。
場所は外苑前に立派な専用スペースがあります。主催者の志村ご夫婦やアテンド(ガイド役)のあーくん達に導かれ、不思議な世界へ旅立ってきました。ちなみにアテンドの方はみなさん視覚障害者です。
以前から噂には聞いていましたが、これはまったくの新しい経験でした。
3時間もの間、お互い初対面の10人の男女が暗闇で過ごすんですよ!(笑)
おそらくネタバレしてしまうと良くないので詳しい体験内容はここでは書けませんが、僕がどんなことを感じたかと言いますと。
まるで子供の頃に戻ったような感覚でした。
アテンドさんがいてくれたからだと思いますが(アテンドさんは暗闇の中をすいすい移動して常に声をかけてくれ導いてくれるのです)、ほとんど「怖い」という感じはありませんでした。でも手の届く範囲以外は何かにぶつかるかもしれない、つまづいて転ぶかもしれないという不安感は常にあります。その中で「次は何が起こるんだろう」「どんな遊びや課題をみんなでやるんだろう」というワクワク感があり、暗闇の中で子供たちが無邪気に遊んでいる感覚でした。
視覚が閉ざされると、それ以外の感覚がすごく鋭くなります。他者の体温、息づかい、匂い、声が聞こえる方向、声のトーンとそこに含まれる感情など。予想と違って、実は暗闇の中でも友人が何人いて、どのあたりにいて、どんな感情を持っているかということは感じ取れるのです。むしろ、他者の心の動きに対してとても敏感になっていたし、一人一人の性格や人となりもだんだん分かってきました。
一言でいうと、他者の「ぬくもり」を感じ取れる空間にいた、という感覚です。その空間では、余計なことを考える必要がありませんでした。他者との関係が、外見や肩書きや互いの立場といったものをすっとばして、身体感覚で生(なま)で接しているという感じ。魂の触れ合いとでも言えばいいでしょうか。
3時間が終わる頃には「まだあちらの世界には戻りたくない!」と思ってしまうほどでした。
傑作だったのは終わった後にお互いに正体を明かしたときでした。暗闇の中で「◯◯ちゃん」と呼んでいたあの人は△△病院の看護師長さんとか、××大学の教授など偉い方もいてびっくりしました。しかし、不思議なものです。暗闇の中で、◯◯ちゃんと呼んでいたときに感じていたイメージそのままに、その人に接することができるのです。そして自分も子供の頃のような、素直な自分に戻れたような感じがして、自分ってそうそうこんな性格で、こんなことが好きだったんだという自己の再認識もありました。
この暗闇の体験を経て、もうひとつ私が感じたことは「他者をケアすること」の意味でした。
ワーク終了後の振り返りの時間で、ある方が結構緊張が続いていて、当初仲間から置いていかれそうになったのだけれど声をあげることができなかったと打ち明けました。恥ずかしながら僕はそれを感じ取ることができなかったのですが、2人ほど彼女の周りにいた方はそれを感じていたと言います。そして、アテンドのあーくんもそれに気づいていました。彼はもう10年くらいこのワークショップのアテンドをやっているのですが、緊張していた彼女の歩幅が狭くなっていたことからそれを感じてフォローしたのでした。ふだんから、誰かが緊張していないか、気後れを感じていないかを、その歩き方や衣擦れの音で感じとることができると。
そこに、私は他者をケアするということの本質を見たような気がしました。
今回の暗闇の体験は私にとって、他者を理解するということ、他者をケアするということなどについて深い気づきをもたらしました。そしてまだその「変容」は静かにゆっくりと進行しているように感じています。
ちなみに今回の体験を10人の参加者で振り返った「薄暗闇座談会」が、医学書院「看護管理」4月号に掲載される予定です。今回は医療者だけの特別企画ということもあり、チームビルディングにもからめた振り返りになっています。ぜひ、ご覧ください。

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